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【感謝の名言】「ありがとう」を言ってもらいたい人へ 

はじめに

 

電車で席を譲った時に「ありがとう」と言われなかったことありますか?

 

当然のこととして譲ったものの、

無言で座られる方もいれば、

「私はまだ若い!」と言われたり、

舌打ちをする人だってあります。

 

好意を踏み躙られた思いがして

「またどうせ嫌な思いをさせられる」と

どんどん譲る必要性を見失ってしまいます。

 

こちらとしては「ありがとう」と感謝の言葉を予想するものですが、

それが実は一般常識ではないということが判明しました。

 

 

今回はそちらを一つの名言から紐解きたいと思います。

 

 

 名言

[感謝の心はたゆまぬ教養から得られる果実である。それを粗野な人々の中に発見することはできない]

18世紀の英国詩人であるサミュエル・ジョンソンによる言葉です。

どこかの本に書いてあった名言で初めて見た時目から鱗が溢れました。

 

 

人は産まれながらに感謝を持っていないもの。

感謝ができるということは教育のおかげなのだということです。

 

人間=動物

確かに動物だってそうですよね?

産まれながらに感謝を持っている動物はいないです。

動物同士の間で感謝の教育というものはなされていないですから。

 

とっても教育されたアシカや猿が芸の一つとしてお辞儀をしたりしますが、

自らが進んで「ありがとう」と感謝を述べる動物はいないのです。

 

人間も一緒。

成長する過程で親や先生、身近な大人に感謝を教えてもらったから出来るのです。

動物のように元々備わった機能である食事、排泄、睡眠、怒り、喜び類とは別物にあたります。

 

 

だから感謝ができない人に気を悪くするのはお門違いなのです。

その時間が勿体ないのです。

動物園で動物に餌をやるのと同じです。

できなくて当然でしてもらえたらむしろありがたいと思いましょう。

 

感謝を知らない人

感謝できない人をバカにしているかのように聞こえてしまっているかもしれませんが、

感謝が当たり前に出来る人は是非

産まれて今までに関わりその事を教えてくれた人達に感謝して下さい。

 

感謝を知らない人は残念ながら今までに

教えてくれる人が周りにいなかったんでしょう。

(そんなことがあったとは中々思えませんが…)

 

 

なので自分がもし嫌な気分になりそうなら、

「自分はあんな恩知らずな人間に育たなくてよかった、

あの人もいつか感謝を知る人になれるといいな」と思うべきですね!

 

与えて求めない

また、そもそもですが感謝の気持ちを人に求めてはいけません。

「ありがとう」を言ってもらい、

自分が優越感に浸りたいだけの自己満なら単なる迷惑行為です。

 

心から相手と接し与える事、これがなければ感謝は生まれませんよね?

ボランティア精神のような見返りを求めない気持ちを持ちましょう。

与える喜びを感じれる人こそ崇高な教養人になりえます。

 

プレゼントを渡したからといって

「お返しのプレゼント頂戴」は烏滸がましすぎるのです。

 

 

おわりに

サミュエル・ジョンソン

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こんな名言を残したサミュエルジョンソン。

実はこの人片耳が聞こえず片目が見えませんでした。

 

そんな中わずか8年で英語辞典を個人で作った天才です。

真面目に…ではなくちゃんと皮肉を交えて作っていたそうで

 

・tarantula(タランチュラ) =昆虫。これに咬まれると音楽以外に治療法はない

oat(オート麦) =穀物イングランドでは一般に馬に与えられ、スコットランドでは人が食べている

 

のようなセンスを兼ね備えていたからのあの名言だなと

しみじみ思わされました。

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彼の皮肉たっぷりなユーモアのおかげで大昔の人ですが、

なんだか近しい感じを受けた気がします。

 

 

 

 

「ありがとう」がスッと言える素晴らしい人達が

教養のない無知なだけの人に傷つけられませんよう。

 

私達も皮肉で応戦しましょう。

 

 

 

 

さぁ、次は何を読もうかなぁ。