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手塚治虫著 名作『火の鳥』(ヤマト・異形編)まとめ・感想

前回の「未来編」に引き続き今回は

火の鳥 ヤマト・異形編」のまとめ・感想を記したいと思います。

 

 

an-books.hatenablog.com

 

 

手塚治虫著 名作『火の鳥』(ヤマト・異形編)まとめ・感想

火の鳥』作品説明

1954年から手塚治虫がライフワークとして発表してきた漫画作品である『火の鳥』。

 

古代から未来、地球や宇宙を舞台に人間や生命の本質について

不死鳥とされる「火の鳥」と関わり翻弄され続ける人間模様を描いた作品です。

 

「黎明編」「未来編」「大和編」「鳳凰編」「復活編」「望郷編」「乱世編」「宇宙編」「太陽編」と複数の編から成り立っており、全てが1つの物語で完結しています。

 

過去と未来を行き来しており、作品全体で無限の輪廻転生を表した作りになっている本作。

 

不死とは何か?

幸せとは何か?

人間とは何か?

生きるとは何か?

 

いつの時代においても変わらない人間のテーマや苦悩に寄り添う作品です。

 

『ヤマト編』ストーリー

 日本人が歴史を持ちはじめた時代を舞台とした、手塚治虫のライフワーク『火の鳥』の第3部です。 4世紀ごろの日本。ヤマトの国の王子オグナは、父の命令で、九州のクマソ征伐に出発しました。 しかしオグナには、実はもうひとつ別の目的があったのです。それは、父の死によって殉死のいけにえとなる人々を救うために、不老不死になる火の鳥の生き血を手に入れることでした。クマソの国に入ったオグナは、クマソの王タケルの人格に惹かれ、また彼の妹カジカと恋におちます。 しかし、オグナの前に現れた火の鳥は、彼にタケルを殺してヤマトへ帰ることを命じたのでした。火の鳥の血を布にしみこませ、それを持って国に帰ったオグナは、王の墓づくりや殉死をやめさせようとしますが、失敗し、自分も生き埋めにされることになります。 オグナは、殉死させられる人々に火の鳥の血をなめさせ、生き埋めになった後も、土の中から、殉死に反対する歌を歌い続けるのでした。
手塚治虫オフィシャルサイトより)https://tezukaosamu.net/jp/manga/400.html

『ヤマト編』感想

殉死という常識が当たり前のようにまかり通っていた古代日本。

権力者の力を誇示する方法が墓の大きさに比例していました。

 

何百人何千人という人たちが当たり前の様に生き埋めにされ、

非を唱える者がいれば斬り殺されていたものです。

 

自分の命をかけ、殉死に反対するために生きた王子が主人公の今作。

 

「黎明編」で登場した青年が老人となりクマソの国を広げており、彼が口にした

「人間は死なないことが幸せではないぞ。生きている間に自分の生きがいを見つけることが大事なんじゃ。」という言葉がとても身に染みました。

 

自分の使命と感情に揺れ動く主人公。

 

殉死という今後大勢の命を救うためとはいえ、クマソ国王の命を奪ったこと。

自ら殉死に加わり土の中から歌うことで抗議をしたということ。

以上には少し腑に落ちない点ではありました。

 

 

とはいえ、今も奈良県明日香村にある石舞台が何故あのような辺鄙な形をしているのか、

この作品を通して改めて考えさせられるそんなヤマト編でした。

 

 

 

『異形編』ストーリー

 手塚治虫のライフワーク『火の鳥』の第11部です。 7世紀末の日本。残忍な領主・八儀家正の娘に生まれた左近介は、男として育てられました。 ある嵐の夜、左近介は従者の可平とともに、蓬莱寺の八百比丘尼という尼を殺しに出かけます。 その理由は、重い病にかかっている父が、どんな病でも癒すと評判の八百比丘尼に治療を頼んだからでした。 父から男として生きることを強制されていた左近介は、父を憎んでいました。そして父が死ななければ、自分は女に戻ることができない。そう考えたのです。 そして左近介は八百比丘尼を殺しましたが、そのあと城に戻ろうとすると、不思議な力が働いて寺に戻されてしまいます。寺の周りには見えない壁があるようで、どうしても寺を出られないのでした。 そうしているところへ村人が病気を癒してもらおうとやってきました。左近介は八百比丘尼に変装し、本尊の中にあった光る羽根を使って病人たちを癒してあげました。 実は、この寺は時の閉ざされた世界であり、八百比丘尼は、未来の左近介自身だったのです。 やがて、寺には、戦で傷ついた妖怪や化け物たちが続々と治療に訪れるようになったのでした。
手塚治虫オフィシャルサイトより)https://tezukaosamu.net/jp/manga/392.html

『異形編』感想

異形編でのテーマは【輪廻転生・因果応報】これに尽きるでしょう。 

 

 

幼い頃からの左近介が負わされてきた背景を知ることで

彼女の憎しみ、葛藤に読者は共感せずにはいられず、

その上で時間に囚われ傷を負った人を救い続ける運命に心苦しくなるほどの残酷さを感じました。

 

 

そして、自分の願いを叶えるため人を殺すことに罪の意識を感じなかった彼女には

残虐非道な父親に育てられ、憎みながらも受け継いでしまったものがあったという事実が何とも切なくなりました。

 

殺し殺されるという無限のループは本当に地獄。

 

自分だったらこのループから抜け出すためにどういう行動を取るだろう?

どうすればより良い人生になるのだろうか?

ととにかく深く考えさせられました。

 

ループが始まる左近介と八百比丘尼の会話が前半と後半で違っているので、比較してみると少し未来に希望が持てる気がしました。

 

火の鳥』の中でも主人公が一番切なく、気の毒に思えてしまうそんな作品でした。

 

おわりに

人間として生きる限り、

欲望や浅ましさは過去も未来もそう大きくは変わらないものです。

 

しかし、同じ歴史を繰り返すなら少しでもいい未来を描いて

今の自分にできることはないかを常々考えて生きていきたいと思いました。

 

自分一人でできることはたとえ小さなことであっても

それが積み重なっていつか誰かの役に立つかもしれない。

 

過去に囚われ今を疎かにせず、

未来を見据え、今を大切に歩んでいきたいものですね。