手塚治虫著 名作『火の鳥』(鳳凰編)まとめ・感想
前回の「ヤマト・異形編」に引き続き今回は
手塚治虫著 名作『火の鳥』(鳳凰編)まとめ・感想
『火の鳥』作品説明
1954年から手塚治虫がライフワークとして発表してきた漫画作品である『火の鳥』。
古代から未来、地球や宇宙を舞台に人間や生命の本質について
不死鳥とされる「火の鳥」と関わり翻弄され続ける人間模様を描いた作品です。
「黎明編」「未来編」「大和編」「鳳凰編」「復活編」「望郷編」「乱世編」「宇宙編」「太陽編」と複数の編から成り立っており、全てが1つの物語で完結しています。
過去と未来を行き来しており、作品全体で無限の輪廻転生を表した作りになっている本作。
不死とは何か?
幸せとは何か?
人間とは何か?
生きるとは何か?
いつの時代においても変わらない人間のテーマや苦悩に寄り添う作品です。
『鳳凰編』ストーリー
舞台は奈良時代と呼ばれた8世紀の日本。隻眼隻腕の盗賊・我王は、命を助けられた高僧・良弁上人と諸国を巡るうちに、病や死に苦しむ人々の姿に出会い、眠っていた彫刻家としての才能を開花させました。 一方、若き日の我王に利き腕を傷つけられた仏師・茜丸は、精進の末にリハビリに成功して、名声を高め、奈良・東大寺の大仏建立のプロデューサーにまで出世しました。 茜丸のパトロンとなった時の権力者橘諸兄(たちばなのもろえ)は、大仏殿の鬼瓦の製作を、茜丸と我王に競わせることに決め、ふたりはライバルとして運命の再会をします。 しかし、勝負に敗れそうになった茜丸は、我王の旧悪を暴露して、我王の残っていた右腕を切り落とさせてしまいました。
(手塚治虫オフィシャルサイト)https://tezukaosamu.net/jp/manga/397.html
『鳳凰編』感想
極悪非道の悪事を繰り返していたが、改心し人の為に生きようとする我王。
修行を重ね才能を認められていたが、出世していく内に大切なものを失っていく茜丸。
二人の対比が残酷な作品でした。
しかし生まれ持った障害のためとはいえ人を殺し、盗みをやめない罪深さと
地位を保ちたいからと他人を蹴落とす欲深さにはかなりの差があるのに関わらず
茜丸への火の鳥の仕打ちがひどい、と少しもどかしさが残るところもありました。
茜丸の認められることを求め、安定を手放したくないともがく様子は
今を生きる現代人をも表しているように思いました。
希望を持っていた時と打って変わって
「目が死んだ魚の様にうつろだった」という表現が響きました。
自分の感情をそのままに仏像を掘り続ける我王のように生きることも大切だと
気付かされる、そんな鳳凰編でした。
おわりに
生まれがどうであれ、
障害があり他人を憎んでいたとしても
一生を通して人の為に生きること、
一生を通して自分の心を成長させることが大切だなと感じました。
たった一度しかない命です。
私利私欲や安定ばかりを追い求め、
自分の心を失うような生き方だけは避けたいものですね。