本とわたしの時間

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吾輩は猫である

 

はじめに

生まれ変わるなら何になりたい?

 

 

という質問をよく聞きます。

 

 

私の場合「飼い猫」が一番に挙げられます。

 

 

のんびり気ままに少しくらいの窮屈さを持ち併せて生きてみたいものです。

 

 

 

そんな考えの真反対をいく作品があります。

猫が人間に憧れるその名も『吾輩は猫である

 

 

誰しもが知っているであろう夏目漱石の名作です。

 

今回はその名作を読み明かしたいと思います。

 

 

 

吾輩は猫である

吾輩は猫である。名前はまだない」という有名な一文から始まる本作。

主人公である吾輩は、捨て猫であり名前がありません。

そんな「吾輩」という独特な一人称の猫視点で

人間を客観的に見る様子が描かれています。

 

あらすじ

主人公である吾輩は生まれてすぐ、一度人間に捨てられました。生きるために仕方がなく他の人間の家に住み着きました。はじめは人間を軽視し、馬鹿にしていたものの徐々に彼らを認め、尊敬するに値する存在と認めるようになります。そして最後は人間に憧れをいただき、人間のように生活をしたいとまで考えるようになります。

 

解釈・考察

猫が見る人間生活 

私たち人間にとって人間生活というのは当たり前の光景でしかないものです。

 

しかしそれが猫目線なら?

 

吾輩という猫が語り手になることで、

普段は気づかない人間模様を気づかせてくれるものです。

 

 

人間が人間を見るとはまた違った

新たな視点が生み出す批判が面白さを増すものです。

 

 

名前はまだない

人間にとって名前がない事はあやふやな存在を示すものです。

人に憧れ、捨てられてもなお人と暮らす吾輩は

最後まで名前を持ちませんでした。

 

 

冒頭で「名前はまだない」と言っているところから

今後付けてもらえる可能性があると示唆しているように感じます。

 

 

最後まであやふやな存在で居続けた彼は

幸せだったのでしょうか?

 

 

ありがたいありがたい

吾輩は最後に命を落とします。

「ありがたいありがたい」と口にしながら。

 

 

果たして自分が死ぬと分かった状態で感謝を口にできる人はいるのでしょうか?

 

 

それほどまでに彼の人生は満ち足りたものだったのかと思い知らされるものです。

 

 

人間のことを馬鹿にしていながらも、生きていくためと住み着いた家で

人間の愚かさや欲深さを知り、それを受け入れながら生活している人間に対して憧れ

 

いつの日か人間になりたい、

人間のように生活をしたい、

 

と思えるようになったからこその感謝でしょう。

 

 

自分の人生をネガティブなものからポジティブなものへと

持っていくことの出来た吾輩は人生を謳歌したと言えるでしょう。

 

 

 

 

感想

この本文に出てくる

 

呑気と見える人々も心の底を叩いてみるとどこか悲しい音がする

 

という言葉が私はお気に入りです。

 

 

猫だからの視点でまさしく的確な所をえていると思います。

 

人は誰しも孤独を抱えています。

 

孤独を消すため

孤独を紛らわせるため

 

人は必死に生きるものです。

 

 

誰しもが抱える寂しさに飲み込まれることなく

 

 

どんな生きようであれ

どんな道を辿ろうとも

 

 

最後命が尽きる時に「ありがたい」と感謝できる

 

 

そんな人間に私はなりたい。

 

 

 

 

 

おわりに

人が人を批判すると波風がたちます。

 

それを猫に置き換えて批判する、

 

そうするとああー、納得!となるから不思議なものです。

 

 

 

猫はのんびりマイペースにのびのび生きているように見えて

実はじっと人間を観察し批判しているのかもしれない

と読むたびに思わされるものです。

 

 

 

あなたの身の回りにいる猫、

吾輩ではありませんか?

 

 

 

 

 

 

 

さぁ、次は何を読もうかなぁ。